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「わたし」で

「わたし」で

    
ことんとハマるような、落ち着く位置というのがある。
このまま、あるがままの、この「わたし」という。
 
今のこのままだ。
 
それは、必ずしも、居心地のいいものばかりではなく、ちょっとした自己嫌悪感を覚えるものも含んでいる。
「これも わたし」という。
居心地の悪さを否定せず、自己嫌悪のさざ波がやってくるのも見守り、それでも、なにもかもが「わたし」なのだ。
 
現れと本質は別であると 苦しい時ほど、苦しみとの同一化を止めようともがく気持ちも、わかる。
これは「わたし」ではない と言いたい気持ち、そして、そうであるという本当のことも。
 
同一化を止めるように意識を向けることも、時にはいいかもしれない。
そういう切り口が合う人もいるのだろう。
 
ただ、私は、ここに現れた不快さも「しょうがない」と飲み、落胆とともにあることに、不可思議で、柔らかな、落ち着いた諦観が同居しうることに気づいてからというもの、不快さ、嫌悪感、無力感……そんな居心地の悪ささえも、「わたし」であり、何も変えなくてもいいものであったと、「わたし」のすべてを迎え入れることは、やぶさかではなくなった。
 
このことは、他者からなされる理不尽を放置することでは一切ないから、安心してください。
私の中に現れる、心の大波、さざ波に対する話です。
だから、だれかの理不尽には、腹が立っていいのだ、ということです。
しょうがない のは、誰かの態度ではなく、自らの中に現れる 想い のことです。
手を離すとすれば、この一点。迎え入れるのは、この一点のみ。
 
落ち着かない苛立ちも、「わたし」であることの喜びから生まれるのだから。
 
 

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