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しょせんみけねこ

しょせんみけねこ

    
みけねこ と書いて改めて気づく。
本質の私は大きいとか、(まあ、大きいのだろうけれど=つまり誰でも大きい)
本当は、生きているだけで十分で素晴らしいとか、(そりゃそうなんだけど)
そういう言葉に救われる時もある。
 
でも、一方で思っている。
しょせん、わたし。ただの わたしだと。
小さくなってしまう私。大きくなりたいと願う、しょうむない、ただの、わたしだと。
 
それでもいい。それでもいい。
それが、現状の、ありのままの、私自身に対する、私のいつわりのない見え方であるのなら、それでいい。それくらい正直に、いてる方がいい。
 
小さいままでいい。無理に大きくならなくてもいい。
今の小さいままで。
そのままの、このままの、わたしで、やりたいことだけやらせてもらえたら、じゅうぶんだ。
 
つまり、大きくても、小さくても、いい ってこと。
結局は、やりたいことだけをやっているんだから、そんなこと関係ない。
 
こんな当たり前のことに気づき、客観的な、比較による、冷静な自己判断は、今の私は欲しくない と気づく。
さらに、私は素晴らしい というようなアファメーションのようなまじないも、どうでもいいことに 気づく。
 
しょうむない という自己判断も、すばらしい という自己判断も、私の、この淡々とした想いの前には、どっちでもよかった なんて。おかしな話。
 
かつて、愛でありたいと願った。
何か、大きな愛に憧れていた。
もちろん、憧れていてもかまいはしない。
 
ただ、もう、どっちでもいい。
私は、私のことをする。やりたいことだけ、申し訳無くとも、やらせてもらう。
申し訳ないと思っても、思わなくても、やらせてもらう。
しょせんみけねこの私は、今更、大きく見せても、しょうがない。
ただただ、しょせんわたしのままで、やりたいことをやらせてもらう。
 
 

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