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光琳のたどり着いた金屏風と黒い流れ

光琳のたどり着いた金屏風と黒い流れ

(Wikipediaより図)
京都では琳派400年ということで、今年は琳派関連のイベントが目白押しでした。そのつもりなく琳派関連のイベントに参加していたこともあるくらいです。(アホですね…^^;)

一般京都人が知っている程度の知識しかありませんが、琳派の最高傑作と言われている尾形光琳の『紅白梅図屏風』は、この年になって改めて鑑賞すると、震えるような感動を覚えます。
紅白梅図とは言いましても、この作品の真骨頂は、どまん中にたゆたう漆黒の(実際は漆黒ほど黒くはありませんが、そう言いたくなります)流れ。すべてを呑み込むがごとくの巨大な流れは、ままならぬ世の圧倒的な力を表すと同時に、どーんとした深い静けさを作品全体に響かせていて、恐ろしくも美しいのです。

私には、紫式部の世界的大作『源氏物語』の世界を感じさせてくれたような心地がしました。
煌びやかな背景に紅白のめでたい梅。しかし、それだけではない。連綿と続く不動の流れが、避けがたく重く画の中央に横たわっています。

源氏物語の分厚い書籍を読破すると感じるのは、光源氏の華やかな生涯というだけではなく、それを貫いている「人生」の重みです。人生のうちに起こるさまざまな浮沈、それに伴う喜びと苦悩。それが、本の分厚さにそのまま現われているようにも思われ、その分厚さこそが、光琳がこの紅白梅図の中央に描いた美しく黒き流れと重なるのでした。

光琳は、相当の遊び人だったらしいですが、その彼が、晩年、重々しいこの作品を描いた心を想います。そして、タイトルが飽くまでも「紅白梅図」であったということに、彼の粋な感性を見ることができるような気がしてきます。
「闇の川」でも「梅木漆黒流れ」でも「紅白梅闇」でもなんでもいいのですが、なぜ、まん中の黒い流れを感じさせるタイトルではなかったのか。光琳は決してそんなことはしないのでしょう。見たままのものを名づけるなど、彼にとっては野暮なことであったはずです。

紅白の梅があるところには、必ず黒い流れができる。そして、それが人生であって、人の世であるということ。
もし、黒い流れがただの泡沫(うたかた)であったとして、それが消えるということであるなら、同時に紅白梅もただの美しい幻想であることが見破られるはずです。そう、すべてが幻であったなら、そこには、金屏風が燦然と輝いているのみになることでしょう。

……ああ、つまらぬ。(笑) やはり、それではつまらないのです。

それを、「あ!」と言って、指差す人もいないというのは。

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