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膝上執着

我が家には、14歳の♀のニャンさんがいる。

実を言うと、もともと犬猫は苦手だったが、ニャンさんが来てくれてから、まあ、かわいいなぁと思えるようにはなり、それなりに可愛がっている。

はじめて飼ったニャンコなので、他と比べようがないけれど、おそらく、おとなしく飼いやすい方の子だと思う。特別困ったこともなく、ほぼ14年間、一緒に仲良く暮らせてはいる。

 

彼女は、おとなしい性格からか、男性がやや苦手で、一番身の回りの世話をしてくれる夫を、いつもなんとな〜く避けている風情。😅

一番慕っているのは長女のことだが、長女が家を出てからは、とにかく私に懐いていて、隙があれば、膝の上に乗ってくるようになった。

 

告白すると、ここまでベッタリされるのは苦手だ。娘がいたときは、こんなに粘着質に、私の傍にはこなかった。

いや、一番懐いていた娘にすら、膝の上に乗ることはほとんどないくらい淡白なコで、私に「ちょうど良かった」。

それが、娘が家を出て3日目のこと。突如、私の膝の上に乗り始め、それが彼女の定位置の一つになった。

 

当初は、娘がいなくなって寂しいんやろな〜、かわいそうやな〜と思って、膝の上に乗せてあげていたが、正直、今は(ああ、面倒やなぁ〜)と思うことの方が多い。

でも、なんだか惰性で、まあ、ええか……で3年近く、膝上執着を許している。

いや……ええっちゃあ、ええねんけどな。😅

 

しかし、本音を言えば、前のようなドライな関係を、私は望んでいる

仕事している時、ふらっとやってきて、足元でくるっと丸まってくれているくらいが、ちょうどいい。ふらっとやってきて、「フーン」って興味なさげな風情で、翻って別部屋に行ってくれるくらいが、私には心地いい。

 

しかし、まさに、今も、私のすぐ後ろで、膝を空けろとしきりにニャオニャオ叫んでいる。夫は、それを羨ましいといい、私は、それならば彼がこの役をやって欲しいと願うが、残念ながらニャンさんは夫が苦手で、ただの一度も彼の膝上に乗ったことはない。(無理やり乗せることはあっても💧)

思いは交錯する。笑

 

いったい、どうして、私は、この可愛いはずのコに、イライラしてしまうんだろう?

 

ふと、彼女の執着は、私の罪悪感の反映ではないかと思い当たった。

この可愛いいたいけないコには、いついかなる時も、可愛がってあげて当然という思いがあるのかもしれない。だから、乗ってもいい時もあるが、嫌な時もあるということを、私自身許せていないのかもしれない。

いや、もっと根源的なこととして、「可愛い」というより「かわいそう」という思いの方が、勝っていることを発見した。

この家猫ちゃんは、自分で狩りにいく能力はない。そういう種ではない。だから、家からは出さない。また、当たり前だけど、自分からキャットフードの袋を開けられるわけではない。人間である私たち飼い主に、命のすべてを預けている。

 

そんな家猫⇄飼い主(人間)の絶対的な関係性が、そもそも「かわいそう」だという思いが、私の中にあったのだ。

だから、「せめて膝に乗りたい時くらい、そうしてあげよう」という気持ちになっていたのだね。

 

実のところ、「かわいそう」動機の行動は、多くの場合、やがてストレスに転じる。

もちろん「かわいそう」から、「可愛い」方に心がまるっと変化できれば別だけれど、「かわいそう」が勝っている場合は、たいていストレスになってくる。

だから、優しく膝を貸すというより、イラッとしながら、はーぁと小さくため息しながらの時が、実は圧倒的に多かったのだ。

 

これは、子育ても同じ。可愛いというより、責任感の方が勝っていると、どうしてもストレス過多になるね。

解決策は、責任感を強めることでは全くなくて(←それをすると更に強いストレスがかかるのは、多くの親が経験してることでせう)

「可愛い」という思いを軸に持って行けるように工夫をする方だと思う。つまり、責任感の方を軽くすることで、「可愛い」が自動的に勝ってくるようになる。

 

さて、そんなわけで、ニャンさんのこと。

もう、かわいそうと思うのを止めよう。

確かに、ニャンさんには、あまり選ぶ権利がないが、それは、必ずしもかわいそうではない。

食住足りてる家に棲めて、あんた、楽に生きてるやん。笑

これからは、快く膝の上に乗っていい時だけ乗せてあげることにして、そうじゃない時には、いやだね〜と、ちゃんと拒否することにしよう✨

そう思ったら、急に、心が軽くなってきたよ😊

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