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【#01】キレイゴトと言われても

こんな世界が、いつか可能になればと夢見て、ひたすら願いを書き出すコーナー🍀
100〜200年後くらいには、こうなりゃいいなぁ〜✨

世界中の人が、原則、働かなくていい世界。

身の回りの雑務は、ロボットがやってくれる。

なので、人間は、原則、働かなくていい。

衣食住は満たされ、あらゆる雑務をロボットがやってくれることが、保障されている。

しかし、働きたい人は働いてもいい世界。何を選んでも自由。職業は、今以上に多岐に渡っており、一人ひとりの好みと欲求、適性を活かせるような仕事に導かれる。

例えば、人の世話が好きな人であれば、それが可能な職業に就くようになる。医師、あるいは子供の世話や教育ということもあるだろう。また、地上生活をより豊かに過ごせるための技術開発や娯楽の分野も、現在より盛んに発展している。

スタンダードな仕事のあり方としては、個人の能力の可能性を追求することである。例えば、スポーツ選手ならば体の能力へのチャレンジ、アーティストならば技術や表現へのチャレンジ…などなど、それぞれの人の個性・創造性を表現することが、よくある仕事のスタイルとなっている。

生活のために仕事をすることがなくなる分、自らの創造力を地上にいかに現していくかという方向に、関心が向かう人が多いからである。そして、それを見たい人、関わりたい人が、対価(必ずしもお金とは限らないかもしれない)を支払い、いわゆる経済的なことは回っている。(経済とは、目に見える物質的なもの<貨幣など>だけではなくなると思うので、「経済」の概念自体も、ガラリと変わる)

焦らず無理なく適性を育てていけるので、うまくいく場合が多い。経済的にもより豊かになり、物心ともに豊かさが現れ出ている社会になっている。

仮に、思うようにうまくいかない場合があっても、最低限の保障が、物質的には満たされているところにあるので、暮らすに困ることはない。また、生活が保障されているから、チャレンジを諦める必要はない。突然の方向転換もよくあることだが、全く意に介すことはなく自由だ。

なんや、桃源郷か❣️

意識が現実を創っていることが理解されている世界

医療の保障と育児の保障と老後の保障

意識的に生きる人が増え、病気になる人は少ない。

罹患しても、十分な医療は、どんな人でも保障されている。

子供は、育児のプロが育てるのが当たり前になっている。

自分自身で育児をしたい人は、もちろんそうしてもいいが、プロに委ねることが多くなるだろう。

「家族」という概念も、現在のようなものではなくなる。

家族の概念が変わるので、老後もまた、プロフェッショナルが担当をするようになり、今のような老老介護やヤングケアラーの問題は皆無になっている。また、下記の理由により、病の状態で老後を迎える人は極めて少ないので、そもそも現在のような老後の問題自体がなくなるだろう。

肉体の死は、死ではないことの理解

死は「意識の次元を、肉体を脱いで移行すること」と理解されている。時期が来ると自ら察知でき、痛みなく、するりと移行するようになる。ひとりひとりが、もれなくその力を持っていることがわかっているために、助けなければならない人はいない。(よりスムーズな移行のためのあらゆることは研究されているだろうが、多くの場合は、時期を察知すれば、横になっているだけで楽々と移行できる)

また、ほとんどの人は死者と語れるようにもなるので、これが一般的な感覚になる。

人類総イタコ化💫

ただ、肉体同士で触れ合えるのは、地上にいる間だけなので、貴重なものとして捉え、この地上で肉体を使ってできることを大切にやっていくし、それぞれの表現を尊重し合っている。

したがって、殺人というものは概念としてもなくなっている。

また、現在のような起伏に富んだ感情生活も、希薄にはなると思われる。

(死への潜在的な恐怖が、感情を誘因させる根本原因である場合が多く、死(の概念)が消失した世界には、出来事によって感情が誘発させられることが少なくなると考えられるから。)

幸せの定義はあるのか?

何を幸せと感じるかは、その人にしかわからないことが、社会全体で深く理解されているので、「一般的」「標準」「定型」とされる幸せの定義は一切ない。幸せの標準定義がないゆえに、それで責められる人も、責める人もいない。

ただし、衣食住が十全に満たされていることについては、定型で一般的な人間の生活となってはいる。

そのため、衣食住のために人は働いたり、努力したりはしない(する必要がない)。人が働くのは、より自分自身の充足感を求めているからであり、しかたがないからということは、一切ない。

よって、幸福感のために働かない選択している人も多く、それは選択として尊ばれ、卑下したりされたりする発想もない。全ての人が、原則的にやりたいことをやっているだけなので、働かないことを選択する人を羨んだり、妬んだりすることはありえない。(自分も、働かなければいいだけのことなので😊)

(随時、続く……)

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