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【#05】めくるめくシンボリックモデリングの世界「彼と手を繋ぎヤマトに降り立つ」の巻

シンボリック・モデリング──── 私にとって、ピアノやゴルフレッスン等と同じ位置付けで、一生の趣味を得たと感じている。
ファシリテートしてくれるひろかもさんご自身も、創始者であるJames Lawley&Penny Tompkins夫妻のオンラインクラスに10月から改めて参加中で、スキルアップには余念がない。っていうより、アンタも好きね〜と思わずにはいられない。😁
でも、そんな先生だからこそ、趣味は続くよ、どこまでも

前回vol.4からの続き。

イケメン猿(あるいは猿美男子🤣)は、つるはしをふるい、ピンク岩塩を粉々にしてくれた。私は、救い出されホッとひと安心。そこに「彼」がいるのだが、なんだか嬉し恥ずかしで顔が見られない。実際は(@イメージなので「実際」という言葉には、ちょっと齟齬を感じるけど😅)、猿男っぽい人ではなく、ガタイのいいカッコいい人のような気がして、ますます気恥ずかしい。

《ヤマト》かな……?わからんけど」と、私は言った。

なぜか、京都タロットの《七 ヤマト》に助け出されたような気持ちがしていた。

(※以後、彼を「ヤマト」と呼びます^^)

粉々になったピンク岩塩は、まんまるのピンクの小球になっていて、ピンクトルマリンとかロードナイト?とか、そんな印象のコロコロの無数の球に変わっていた。フルフルフル……♪と、ふるえながらキラキラと光って、私たちの姿を際立たせる借景っぽく変わったピンク岩塩✨

ヤマトさんに手を取られ、いっしょに天空(宇宙空間)を飛ぼうということになった。

うれしくて、ワクワクする💖 笑

最初、紫紺の空間に星々が煌めく宇宙空間だったのが、瞬く間に薄ピンクの雲ような霧のようなところに入って、右も左もわからない。

でも、ヤマトさんと手を繋いでいるので、そんなに不安はない。というか、ドキドキワクワクがまさっている。笑

 

途中で、「(どこかに)下りていく」感じになるなと直感する。

まもなく眼下には、横たわる日本列島が、雲間から見えてきた。ちょうど飛行機から見下ろしている感じだ。

私は、日本の「真ん中」はどのへんだろうと思っている。

たぶん、ヤマトさんも同じことを思っているようで、二人で、真ん中らしきところを探る。

愛知県から大阪府あたりを行ったり来たりしながら、このへんかな?と思うところに「着地」しようと思い立った。

その時、ひろかもさんから「あなたは、どんな姿をしているの?」と問われ、自分を見ると、薄い衣のようなものをふわりと纏っているだけの、天女の絵で見るような姿に自分が変化へんげしていて(=夢の中のようだけど、一方で冷静な自分は失ってはおらず「あたくしゃ、あぶない人やなぁ😁」とも思っている。明晰夢に近い白昼夢のような感じ)その中で一番小高く見えた山に、意識が降りる。

このへんというのを、セッション後に描いた↓地図。

意識が降りたのは、滋賀県と岐阜県の県境の三重県の山中

※註:あくまでも、セッション時のの感覚での日本の真ん中であり、客観的な意味合いでの真ん中ではない。人によって、ご縁によって真ん中と感じたり惹かれるものは当然違う。

そこからは、東西南北、どこに向かってもいい。右か左か?どうしよう?どっちに惹かれるかな?

心は、左前の山脈(たぶん鈴鹿山脈)に沿って進み、谷や川に沿って流れるように下流に向かった。

 

湖北の街並み。

あちこちに光る石が見える。光る石のどこかに「私」が入ることになっている。光る石のあるところが子供待ちの家っぽい。どこに入ってもいい。

私は、その中からアメジストのような青紫に光る石を見つけ、あそこに行こう、あそこに行きたいと望んだ。すごい吸引力を感じる。心を惹かれる石。

光る石は子供待ちの標

そのとたん、視界がドラえもんのタイムマシーンのような渦巻く感覚になり、何か大きな力で「そこ」に入ることをサポート?されているのを感じる。

ああ、わたしは、そこに 行きたい。

一方で、現実を知っている「私」は、なんとも言えない気分になっている。そうか、私は、こんなに望んでいたんだ……という感動と、それゆえ重くなる現実の私、、、そんな複雑な思いが入り汲んでいて涙が出そうだった。

なぜかわからないけれど、心惹かれるところを「自分で選ぶ」のだとひろかもさんに伝えた。

そう、自分で選ぶ。「思考・頭」で選ぶのではない。なにもわかっていない状態で、心惹かれるところを、単に目指し、単に入る。誰かに、具体的に「あそこだ」と諭されたり導かれるのでもない。「私」が心惹かれてしまっているところにいくのだ。

うまくいえないけれど、心惹かれるところは、人間の気持ちで「良い悪い」がハッキリしているところではなく、とにかく心が指し示すところに行く。行きたいから行く。だから、人間の気持ちでは「悪い」可能性もある。でも、何を選んだとしても、その瞬間の「私が欲している」間違いのないところだったのだ。

心が引き寄せられてしまうので、どうしようもない。

おそらくだが、調和……いや、中和する場に、自然と引き寄せられる。私の心(=自我意識)では、実になんにもわかってはいないけれど(~_~;)、全体の中和すべく、特定の場、特定の何かに、心が惹かれるようなのだ。その通りに動くことで(=その通りにしか動けない・その通りにしか動く気になれない)何かしらのバランスを図っている感じだと思えた。

全体の中和というのは、自分を中心に置いた、あらゆる全体を整えるという感覚だ。

仮に、空間の広がりを縦軸とするなら、時間の広がりが横軸。この縦と横をクロスさせた真ん中に「私」がある。

だから、その場の空間の中和でもあり、同時に、時間(≒過去生)の中和でもある。何よりも、自分の内面を中和させようと、自然と選択してしまうようだ。

中和をしようとして、意識は、何か に 惹かれるのだ。

この、自然さ、当然さが、神秘なのだと感じる。

理屈ではわからない。心惹かれる意味。

中和して、全体のバランスを取る、整える。

頭脳で、中和はできない。その瞬間に、惹かれる何かが、即、中和になっているのだ。

それは、何か、 に落ちることにも 似ていた。

 

「一緒に飛んでいたイケメンは、今、どこにいますか?」と訊ねられて、全く彼の存在が、脳内から消えてしまっていたことに気づいて驚く。

この一連のプロセスの間は、マジで、まったく彼のことを1ミリも思い出さなかった。あんなにドキドキして手を繋いで飛んでいたのに。🤣

「どっち側に行ったかわからんけど、私と同じように、どこかの光る石に入ったんちゃうかな」と言った。知らんけど。

彼のことはほんまのところは、わからない。ただ、今のダンナさんならいいなと思った。それはちょっと異質な狂気のような思いだと感じる(笑)。作為がないとはいえ、それまでは、すべてが中和のために動いていたのに「あの人に会いたい」などという想いは、この地上ならではの、狂気混じりのエクスタシィの周波数。でも、なんとも愛おしい感じだ。

「たしかに、他の人やったら、ちとややこしなるな😎」と、ひろかもさんも素で笑ってくれた。

 

❄️意識は、地上をどんなふうに流れるのか?
 ヤマトとは?いちひめとは?→(vol.6に続く)

 

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