先日、久しぶりに歯のお掃除にいこうって時のこと。
少し時間の余裕を持って家を出たつもりが、スマホを忘れて取りに戻ったりなどのロスを繰り返し、途中で歯医者さんに電話をすると、2時間後にキャンセルが出たとのことで変更してもらった──というしょうもない出来事があった。
なんてことのない話だけど、近頃「外向き」意識に敏感になってしまっているので、この時の全霊で外向きになっている感覚に、なんだか首を傾げながらも、バタバタが止められずにいたのだ。😓
そう、あのバタバタ。焦り。
人に迷惑を掛けると思って、焦ってバタバタする、前のめり感。
まあ、こうなるの(=バタバタすること)が当たり前だって思ってきた。でも、人に迷惑を掛けるのは本当だとしても、だからって、焦ってバタバタして、なんなんやろ?
焦ってバタバタしたところで間に合わへんし、むしろロスや無駄な動きが増える。
全身全霊で「外向き」に対処している気持ち悪さ。当事者に見られているわけでもないのに、なんなんこれ?って思った。
遅れそうになると、イライラ怒られて、焦らされて、私もおろおろバタバタ。幼い頃から、よくあった乱し乱される嫌な感覚。焦りの感覚。これってほんまに必要なんやろか?
焦ってバタバタすること……その感覚を「持っていること」が、人として、まともっていうか、正当なことと思い込んでいた。焦りの感覚を味わっていること自体が、遅れることの免罪符になっていた。この免罪符、ほんまに必要?
もちろん状況は改善すべきだけど、自分を焦らせてバタバタさせることで、どれくらい改善できるんやろ?せいぜい数分か数十秒ってところちゃうかな?
と、思うと、この感覚、免罪符、いらんな。って思った。
だったら、「遅れそう!」って時、どうするの?と考えてみた。
遅れそう、やばい!
↑
これは、ぱっと出る感覚。これはしゃあないと思う。しかし、問題はここから。
やばいやばい…って、自分を焦らせ続けて、バタバタとさせ続けること。←この初動は変えられるはず。
ひとつ深呼吸でもして、前のめりに対処しそうになる感覚を鎮めて「さて、どうする?」と、自分に聞く。その答えを、バタバタではなく、淡々と行う。それこそ、マーヴェリックの「考えるな、動け」でいいんじゃないのか?
焦って動くのとは、似て非なり。いや、似ず非なりだ。
どうしよう?と焦ったまま動くことが、異様に気分が悪いことなので、今後は、今までとは真逆で「とにかく気持ちを鎮める」方に注力する。そして「(先方に)謝る」って決めたら、落ち着いてペースを自分に戻す。自分を焦らせない。
焦ったところで、到着時間には大した差は出ない。むしろ怒られる覚悟だけしたら😁、気持ちを楽にして、自分のペースで動く方が大事なことな気がしてきた。
たぶんだけど、その方が、事態は丸く収まるんちゃうやろか?

余談
ちょっと前に、友人から、小学生のご子息が、時間を伸ばしたり縮めたりしているみたい……という話を聞いて、ほんま新人種はおもろいな〜、やってみたいな〜とは思ったけれど(笑)
もし、これがほんとに可能だと仮定するなら、それは「焦ってバタバタ」という感覚の中には、全然ないやろなぁって感じた。たぶん、何があってもブレないくらいの「喜び」の中に、その可能性は潜んでいるのではないかと、ちょっと思った。知らんけど。