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【11月#3】めくるめくシンボリックモデリングの世界「おかしなおかしな樹木譚」

【11月#2】の続きです。(間を空けてしまいました🙏)

12月のシンボリックモデリングの前に、先月の総括がまだだったので、ざっと気づきを記します。

八番のコノハナさんと九番のイワナガさん。そして、ヤマト、ククリ。

前回書いたけれど、コノハナさんは「一般的に」喜ばしいと考えている側面(見目麗しい、明るい…等)。イワナガさんは、その逆をシンボライズ。イワナガ的側面とは、目を背けてしまった(忌むべき等)サイドの象徴化。

なので、統合といっても、そもそもコノハナ性は受け入れている場合が多いだろうから、イワナガ性との統合がキモ。統合され一つになった時(=女性性の融和)、自然に「ヤマト」を求め、ヤマト(男性性)はやってくる。

この辺が10月の部で書いた「おしべとめしべ」の中に、この神話が流れているんじゃないかという考察をしたところ。

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今回は、この前のvol.10を踏まえ、ひとことでまとめると、「樹木とは、男女性の完全なる融合状態の顕現✨」と言えるように思った。

その永続性が「樹木」に現れている。だから、原則的に樹木の寿命は長い。(これをイワナガさんの神話が暗喩していると思われる)

 

樹木には、あたりまえだけど男女性がない(註)ヨモギに男女性があったりなど少数の例外はあるね。

男女性が、それ自体で融和されてしまっている。

その「素」となるのが「種」。種は超中性性で(@アルカリ性と酸性の話ではないよ。男女性の話。笑)それを保っている(バランスしている)エネルギーというか仕組み?を京タロ的には「ククリ」と言い換える。

梅干しの種の核の部分を「仁」といって、別名「天神様」と呼ばれているらしいけど、ある種の神聖視があるのは、その超バランス性みたいなもんを、人は本能的に「知って」いるからかもしれない。

変なハナシだけど、梅干しを食べた後、たとえば「仁」をかじろうとすると想像してみてください。なーんとなく、手を合わせたくなる気がせーへんっすか?うまくいえんけど、そこはちょいと禁忌な感じが漂う。笑

実際、仁にはとされる成分もあるらしく、超中和を壊させないような「何か」が働いているのかもしれない。

そういや漢方も、種(シード)が原材料ってものがすごく多いのは、同じ理由ではないかな。薬となるものは、摂取を間違うと毒に転じるというのも、やっぱり同じ理由?

そもそもタネなんぞ、おおかた、うまくはないしねー😁 毒か薬にしか使いようがない。

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樹木というのは、男女性の超中和的存在。

さらに、(10月&11月のシンモデセッションをふりかえると)もう一歩、違った観点も出てきた。

鉱物」なるもの。

それは、両性の超中和・超融合が、さらに確固たるものになったもの、、、と言えないだろうか?

この地上の原理でいえば、鉱物は無機物であり、植物や樹木(有機物)とは、そもそも並列に考えるものではない。ただ、私の変なブログでは、徹頭徹尾、変な見方しかしない😎

たとえば、私たち人間の中の「何」かが、映し出したものが「現実」という観点で見てみれば、鉱物というのは、両性の超超超バランス的顕現で、それはいつだって足元に転がっている。私たちの「ある姿」を見せている(いや丁寧に言えば、私たち自身が創っている、、やな)。

さらに砕いて言ってしまえば、地球(惑星)自体が、岩っていうか、ある種の鉱物だとも言える。 

 

……えっと、シンモデ11月の部の考察は、とりあえず、ここまで。

次回は、話は変わって? 12月の部です。お楽しみに。

※続きの話(@鉱物譚)はありますが、佳境シーンで長くなりそうなので、またの機会に〜🍀

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