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学校がどうでもよくなる過程に入っているかもしれない件

だんだん、デスマス調が崩れていきますが、そこはお許しください。😅)

私の勝手な空想ではありますが、
たぶん、50年後には(いや、案外30年後くらいかも??)、義務教育のシステムが現在の小・中学校に通学しなきゃならないっていうような、限定されたもんじゃなくなってると思うんです。

今のシステムは、明治期の富国強兵時代に、国力を上げるためには、国民にはすべからく教育を与えるべし、、という思想に基づいて作られたもんなので、現代の高水準な学力を、できるだけ平等に身につけさせるためには、とても良い機能を果たしていたと思います。

要するに、それまでは、貧しい者には一切手が届かなかった教育を、全国民に与える作戦というのは、めっちゃ良いもので愛だったはず。当時は、貧しい方が主流で、文盲率も相当高かったことを思えば、とっても必要なシステムだったに違いありません。

そんなわけで、義務教育って、あたりまえですが大事です。はい。
今後も、きっと教育の義務化は大切でしょう。(えっと「義務」という堅苦しさはなくてもいいとは思う。自然に学べるくらいに、情報インフラもますます整っていく気もするし)

ただ、今は令和✨
それを身につけさせるために、必ずしも小中学校を経由しなくてもいいんじゃないかと思えるんですが、いかがでせう?

小六のボンに向けて、ぼちぼち中一教材を送ってくる学習系企業さんがたくさんあって、それを見ると拭えない違和感が……。む、難しい、難しすぎる。これ、学ばせる必要あるのか?って感想が出てきますよ。義務化してまで、こんな小難しいことにノーミソの容量を取らせる必要あるのかぃ??😎

いや〜、勉強好きな子はいーんですよ。どんどん、やっちゃって〜 って思う。

しかーし、おおかたの子は、これ、嫌なんじゃなかろーかね?

平等に学ぶべきレベルが高すぎ〜る。もっとレベル下げてもええんちゃう?(さらに言えば、国数理社とは違って、もっと違う分野の方がええかも、とも)

これだけ高いレベルで、平等に学ばせるのが必要なら、そりゃあ小・中学校が絶対必要になってしまうけど、レベル下げてもいいのなら、色々やりようがあるだろうし、多様なやり方がひたすら広がる方が、きっとおもろいと思うのよ。

最低限レベルをうんと下げて、それだけは絶対クリアさせる。例えば九九とか、常用漢字とか。
あとは、好きなことを、好きなようにできる方向に、大人はサポートする。そうしたら、その子の好みに合わせて極まっていく。本来、子供が都度、サインを出してくるだろうから、それに柔軟に従ってあげたらええんちゃうかなーと。

もちろん、それを家庭だけで補うって言うのは、一般的にしんどすぎるので、便宜上、学校がある方がいいけど、行っても行かなくても、最低限だけ学べばOK〜くらいにしておけば、学校って気楽なわりに、レベチで極めていく子が桁違いに増えるはず。ちがうかー?甘いかー??

「同世代の子と遊べんようになる」っていう古い世代からのツッコミが聞こえた気がしたけど🤣、そんなの杞憂やと思うよ。子供は、テキトーに遊ぶよ。一人遊びが好きなタイプも、実はかなり多いはずだから、無理しての人付き合いはいらん。従来のように「みんなと仲良く」なんて、どだい無理な関係性を子供に押し付けなくてもいいからね。みんなと仲良くなんて、大人だって絶対無理やん。笑 人付き合いで余計な努力をさせる必要はないはずなので。

自分も好きなように自由にできていたら、他の子が、自分とは全然違うタイプでも、それはそれで「あの子は、あれが好きなんやねー」って自然と認められるようになるから、むしろ関係なく仲良しになったりしてね。(我慢している人の方が、自分と違うやり方とかタイプに対して「違うわ〜、合わんわ〜」と過剰に反応するような気がするよ。基本的に、だれが何をしていてもどうでもいいっていうのが、標準的というかフラットな感覚だろうと思う)

  と言うような上記の話は、きっと、これからの子たちは、なーんも考えんでも当然に思っていると感じられるので(知らんけど)、今までの学校のように規則で取り締まろうとすると、鬼の反発をするか鬱になってしまうよ。自由が当たり前の存在に「枠(制限)」をはめようとしたら、とにかく「それは違う!」って拒絶するやん。とーぜんやん。

若人わこうどたちのありあまるパワーを、そんなところに使わせるなんて忍びなくて、おばちゃん涙出そうよ。全力で、本人の好きなことに掛けられたらええなぁ〜と、心から思う。

なのに、やらねばならない最低限の勉強が、あんなにレベル高かったら、本来、やりたいことに使えるパワーとかエネルギーが、そこまで高める必要のない勉強だけに取られてしまうやーん。愚の骨頂としか言いようがない気がするんですけど。

いやあ、偉そーに書きましたが、けっこう、昔からだれもが内心思っていたことちゃうかな?😎
そろそろ、マジで柔軟に変えた方がええんちゃうかなぁ?子供ら、キツかろうと思う。

今、改めて、こんなことを書いているのは、このところお二人連チャンで、たまたま不登校になった子のママ友さんとしゃべったんですよ。

それを聞いていると、学校の対応の不十分さはあるものの、もはや、そういう次元やなくて、現在の制限だらけの学校に、自由な魂を押し込めてたらいかん気がめっちゃしてきたからなのであーる。

一人の子は、たまたま彼の祖父母が元教師をやってらっしゃった関係で、学力を学ぶこと自体は、全く問題がないばかりか、学校行かなくなった間に、時間のできたおじいちゃんと美術館めぐりしたり、スペイン語学んだり、旅行いったり……いや、めっちゃええやん✨ むしろ、うちのボン、彼のおじいちゃんに学ばせたいわ…って喋ってた。😊

もう一人の子は、とある私立中でいろいろあって、結局別のところに転校しやはったんやけど、彼のママさんは、めちゃめちゃやり手の実業家さんやから、ちょうど切り替わりの時に、海外のサマースクールを思いついたらしくて、そこに行ったことで、海外の全く新しい友人ができたり、新しい夢を持てたりして、方向転換できたっておっしゃっていた。

私には、当事者の子供らが、周りに馴染めなかったり、いじめがあったりしたのは、本質的に新しい在り方を、彼らの心の奥底では求めていたからこそ、現れた現象ちゃうかな〜って思えた。いろいろあった渦中は、親も子もたいへんやったみたいやけど、考え方を変えてしまったら、ほんま、めっちゃええと思う。めっちゃアリやん。もっと多様でいろいろアリ〜OK♪ってなったら、だれも苦しまんでええ。

そんなことをあれこれ考える。そして、たぶん、これから数十年掛けて、みんなが学校とか従来の在り方に縛られず、自由に学べる時代に突入するんちがうかなーとも。

と、言うことは……
これから、今までのやり方はぜったい不適合って子供が、もっともっと出てくるのは必定やし、だからこそ学校(@義務教育の在り方)は、どんどん変わる方向にいくだろうと思われる。そうしなきゃ、子供が可哀想な感じになると思えるのであーる。

まあ、最初っから行かせないって必要もまた全然ないけど、もし「ガッコいやだ〜」って子供が言い始めても、深刻にはならず、ま、なんとかなるっしょー?って柔軟に考えた方が、けっこうおもろい方に転がるんちゃうかな、と思える🍀知らんけど。

 

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