桃の節句は、正式には「上巳(じょうし)の節句」と言う。
かつて、月の暦(陰暦)の3月の初めの巳の日に女児を祝ったことから。
巳の日に女の子…やっぱりね、と私は思う。
ヘビのイメージは男というより女だ。
クネクネとしているところといい、ネチネチとしつこそうなところなど。
ウロコのベタっとしている感じが妙に艶かしくて、気色の悪さと纏綿(てんめん)たる色気の両方を兼ね備えている。
昔から、ヘビは女の性の象徴のように考えられている。
旧約聖書の創世記ーヘビにたぶらかされて知恵の樹の実を食したイブは、次にアダムを誘惑して彼にもその実を食べさせ、二人は、神様から楽園を追放されることになった。
また、日本古典を代表する怪異譚『雨月物語』には、その名も「蛇性の淫」という話がある。(上田秋成、命なんです^^;)
蛇が女になってやさ男を追っかけ回す話だが、このやさ男、一時は、女のセクシャルアピールにメロメロになる。
蛇のからみつくイメージが、女の性的魅力と重なるのだろう。
蛇は、女の魔性的な力や、誘惑を象徴している。
また『蛇の道は蛇』…などと言われるように、見た目の気持ち悪さと合わさって、あまりいいイメージは持たれていない。
魔のシンボリズムの一つだ。
しかし、一方で日本では、夢で白蛇を見ると縁起がいい…とか、家に棲む蛇は、その家の守神だとも言われている。
10年ほど前の話だけれど、奈良県の山奥の洞川温泉というところの泉のほとりで、私は一匹の白蛇を見たことがある。
泉を守る石仏の足元で、小さな白い蛇がじっと座っている。
瞬間、両手を合わせた。菩薩の顕現だと感じた。
小さな泉の小さな神様。
あの白蛇さんも、白くてつやつやしていて、やっぱり色っぽかった。
そして高貴だった。
断じて魔のシンボルなんかではなかった。
魔が転じたものは天の使い。
当時は、そのシチュエーションに心を奪われただけだったが、その後の平たんとは決して言えない道のりと、恥ずべき失敗の数々を経た今の私には、あの白蛇は再生のシンボルとして私の胸に棲んでいる。
無垢な天使も素敵だけれど、エゴ丸出しの多くの情けない行いや失敗にまみれて、魔のレッテルを張られても、その苦難を見つめて、悔いて悔いて悔い詫びて、生まれ変わって、神に召された鬼子母神の方が私には深い。
イエスに救われて、娼婦から立ち直ったマグダラのマリアから、いつからでも人はやり直せることを知り、私達はどんなに心強く励まされることだろうか。
過ちから生起した神、そして人の姿に、私達は憧れ、希望を抱く。
鬼子母神、マグダラのマリア、そして蛇さんから、絶対立ち直ること、誰にもレッテルを貼らないことのシンボリズムをいただいた本日、上巳…女の子の節句であった。
「ソンナヲンナニ ワタシハナリタヒ」
(ちなみにフランス語で蛇は、セルポン [SERPENT]と言って男性名詞。大蛇は男性の象徴。ゆえにジャングルの部族ではよく崇拝の対象とされているようです。
‥‥“ソンナヲトコニ アナタモナッテネ”‥‥‥‥‥
蛇=女という図式は結構アジアっぽいのかもしれません…)