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亀田考~ほんとうは弱いという通過儀礼~

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ボクシングの亀田一家がまたも世間を賑わせている。
わたしも当日は、他のチャンネルとカチャカチャと行きつ戻りつしながら見ていた。腰を据えてみるには耐えられなかった。
わたしの場合、それまで好ましく思っていなかったような人でも、バッシングがはじまるとバッシングされている方に同情を覚える性癖があるのだが(爆)、今回は難しい。
ズルいな~と思えてしょうがない。このズルいというのは、単に反則を繰り返しているという不快さではない。反則をすることで、非難の目をそっちに向けてしまったこと。まともに闘ったのでは、全然弱くてボロ負けになったろう。そして、「ほんとうは弱いくせに」という非難の嵐であったろう。彼は(彼ら一家は)それを避けた。それがめちゃめちゃズルい。
「ほんとうは弱い」ではなく「反則がひどい」に非難をすりかえた。「ほんとうは弱い」より「ヒドい反則」という方が、むろん世間の非難は荒れる。あたりまえだ。ただ、それでもなお「ほんとうは弱い」という烙印を押されることの方を、彼は(彼らは)怖れたような気がする。
いつだったか、亀田が勝ったあのジャッジに非難が集まっていた時、以前のブログで「今、彼は(勝ったにもかかわらず)地獄を見ているだろう。地獄から這い上がった男だけがホンマものの王者。今は実力がないとしても、地獄から這い上がって名実ともに王者になることを期待したい」というような主旨のことを書いた。
しかし、今回の一件を見ると、その過去がなんら教訓になっていないし、やっぱりあの時勝たせたのが悪かったのだと思わざるを得なくなる。あの一家は、ほんとうの意味で地獄を見ていなかったのだ。対面をとりつくろって、勝ったと言う体裁だけが残っただけだった。
だから今回も、ボクサーとしてのほんとうの意味での地獄…「ほんとうは弱い」という事実を味わわせるべきだったのだと思う。それはきっとボクサーとしてのプライドを粉々にさせるようなむごい経験に違いない。しかし、そこでその恥に打ち勝ち、地味な努力を繰り返し、本当に這い上がってこられたなら、その時、彼は本当に王者になれる。彼はまだまだ若い。だから何年かかってもええやんか、その境地に導けるように周囲は、彼にキッチリと恥をかかせるべきだった。こんな形ではなく、自分の実力のなさ、弱さに直面させるというアタリマエの恥をかかせるべきなのだ。それが、将来のほんまもんの王者へと叩き上げる。こんなところでくだらない体裁を保たせてはならない。
「まともに恥をかく」
これは、王者になる男にとって、どんな場合も欠くべからざる要素だとわたしは思っている。王者への通過儀礼。いつでもたったひとりで口を閉じ恥を忍べる男が、真の男だと思う。
「アイツは弱い」「アイツは無能だ」「アイツは嫁に逃げられた(情けない)」「アイツの店は流行っていない(実力がない)」…こういうことに直面してこそだ。避けちゃあなんねえだ。
闇を這い上がってこそ、いずれ闇を照らせる力のある男になるのだと思う。光だけではない、光と闇の両面を理解する男が、ほんものの王様。これは神話の時代からの王者のセオリーであり、本質なのである。
だから、彼を叩け!叩いて、叩きまくることが、彼への真の愛情になるだろう。反則行為だけに、すりかえてはならない。反則を咎めるのはもちろんのこと、弱さを直面させるまたとない機会としても、さらに叩け!
今、心から恥を覚えることで、5年後、10年後の賞讃へと導けるだろう。大丈夫。ほんと、そういう例はいくらでもあるではないか。オリンピックのドラマをざっとみるだけでも枚挙にいとまがない。いや、ほんまよ。

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