コロナ以降1 溶解

ふと感じるんだが、コロナ前、コロナ後というのは、
人の精神にとって、BC/ACという西暦表記に匹敵するほどの、変換がもたらされているのではないだろうか。
 

もともと内的な活動(←というのかわからないが)を得意としていた私にとって、自粛という事態は、不謹慎な言い方だけど、渡りに船というか、自分の性向に大義がもらえたみたいに救われる心地になったりもした。

そのせいで、心がより内向きに、あの頃より徹底して「自分を観る」というふうに、自然と変化していったように思う。

そうなると、今まで見過ごしていた、小さなところにまで、意識が向くようになっていった。

 

その過程で、母との関係について、自分の中で悶々としていたものが、浮上してきていた。母に対して、本音に蓋をして、だましだまし「いい顔」をしてきたのが、自分で耐えられなくなっていったのだ。

 

母との関係は、長いこと、「まあ、そんなもの」と適当なところで折り合いをつけていて、多少の嫌なことも、それでいいかと納得していたつもりだった。

しかし、具体的に書くのは差し控えるが、母に対して、私は、ある猜疑心をひそかに胸に抱いていた。

私の苦悩は、20年くらい掛けて、じわりじわりと深まっていて、これを胸に秘めたまま、つまり、心の奥で不信を感じたまま、何事もないように、母に対応している自分への欺瞞にいらだつようになっていった。

自分をごまかしていること。

本音から外れた自分の言動。

京タロで、本音こそがキモだと人には伝えながら、私自身が「これくらい」と呑んでいたことが、もはや看過できないくらいの違和感になってしまっていたのだ。


 
もう、嘘はつけない。

これを、もう見過ごすことはできない。

 
 
私は、母に正直に伝えることにした。
 
 
…いや 違うね。ほとんど怒りに任せて、ぶちまけたといってもいい。^^;
 

 
まずまず良い子でいた私(あ、うそです;)の、抑えきれない苛立ちが、吹き出してきた。
 
母を傷つけることはわかっていたが、それでもいいと思った。
それが、他人さんとは違う、母娘という関係じゃないかと思うから。
今までは、母を傷つけてはいけないと気を遣っていたが、それで疲れてしまって、本音でいられないのって、そんなん親子とちゃうやん。
喧嘩して傷つけ合っても、自分を伝える、、私は、諦めていた「本当の母娘」に踏み込んでいくことにしたのだ。
 
母の方は、いつでも本音で、うそのない人なんだけど、私は、ずっとしんどかった。
だから、「ずっとしんどかった」と伝えた。
母はもちろん傷ついていた。
「自分の言いたいことだけ言って、勝手やん」と母は憤っていた。
母の立場でいえば、その通りなのだが、
でも、今までのように「申し訳ない」なんて思わないと決めていた。
 

ここで、私の「申し訳ない」で終わらせてしまったら、今度こそ、決定的に、母と自分の両方に嫌悪するようになるに違いない。

 
申し訳なくなんかあるもんか。それが親子ってことやんか。

母と娘でいようという約束を、‘あっち’で決めてきたんやん。
ちゃんと約束を果たさなければ、私も母も、本当の意味で報われない。
(このことを思い出す出来事が、実は夏の初めにあった。)
   
母は傷ついたが、すべて話せたことで、私は、肩の荷が下りた。ほんとうに嬉しかった。
 
そして、傷つきながらも、結果として、この怒りを受け止めてくれた母に対して、ありがたさが湧いてきた。本当の意味で、感謝の心を持てたのは、はじめてかもしれない。
今までは親に対しては「お世話になっているから、感謝しなくてはいけない」という観念に縛られていたからね。これは条件付きの感謝で、本当の感謝とは、まるで次元の違うものであったと、はじめて知った。
  
すると、不思議なことだけど、私の中に眠っていた、母に対して抱いていた深い愛情が、突如、むくむくむく…と表面化してきて、母のことが、大好きになっていた。
 
 
ああ、嘘みたい。笑
 
「お母さん、大好き、ありがとう!」

私は、受話器越しに、母に大声で伝えた。
 
これからは、本音で、おかあさんに優しくしてあげられる。
  
これは、ものすごい解放であった。
そうや、私は、母が大好きで、うんと優しくしたかったんや。
 
ものすごい速度で、私と周囲が変わっていく。
ほんとうは、何一つ問題などなかった。
 
母に、ちゃんと伝えていないかっただけだったのだ。
 
母に対して、一方的な人だと、イライラしていた。
これって、母を勝手に決めつけて、見くびっていたということになるだろうね。一方的だったのは、むしろ私の方だったって話。笑
 
母も精一杯、役割を演じてくれていたのだ。
 
この人生の間に、間に合ってほんまに良かった。
 

はい、おしまい。